「刈り入れまで待つ」 2026年7月18日 聖霊降臨後第八主日 説教要旨

第一日課  イザヤ書44章6~8節
第二日課  ローマの信徒への手紙8章12~25節
福音書   マタイによる福音書13章24~30節、36~43節


刈り入れまで待つ

イエス様は、先週の日課「種まきの譬え」に続いて「毒麦の譬え」を語っています。「種を蒔く人」のたとえの続編のようです。イエス様の話を聞くために集まって来た大勢の群衆にとって、農耕生活に密着した譬えは理解しやすいものだったのでしょう。今日の福音書は前半が「毒麦の譬え」、そして後半は「毒麦の譬えの説明」が記されています。説明の部分によると「良い種を蒔く者は人の子、畑はこの世のこと」と説明されています。この世界は、イエス・キリストによって、良い種が蒔かれた良い世界だと言われます。創世記の1章には、神が6日間で世界を創造されたと記されていますが、神様は1日ごとに、「良しとされ」、そして6日目には、「それは極めて良かった」と言われました。神様が創造された世界は、極めて良い世界なのです。しかし敵が来て、麦の真中に毒麦を蒔いてしまうのです。

聖書大辞典によると「毒麦」について次のように記されています。
「毒麦はイネ科の植物の中で唯一有毒なもので、茎丈0.6~1m、小麦によく似ており、特に穂が出る前には区別しにくい。毒は種子の中に寄生する菌類によって生じる麻酔性アルカロイドに起因するとされている。収穫時に識別しやすくなるので、婦人、子どもなどが茎の途中から切り取ったり、根引きしたりして取り除く。実を食べると嘔吐、下痢、めまいを起こすこともある。」つまり穂が出る前は、小麦との区別が難しいけれど、かなり毒性も強い植物で単なる雑草とは言い難いものだということです。

良い種が蒔かれた畑だった世界に、人々が眠っている間に、敵が来て麦の中に毒麦を蒔いていったのです。眠っている間の出来事でしたので、主人も僕たちも芽が出るまでは気づきませんでした。毒麦の芽が出てきたことに驚いた弟子たちは、主人に二つの問いを投げかけます。「畑には良い種をお蒔きになったのではありませんか。どうして毒麦が生えたのでしょう」、その問いに対して主人ははっきりと答えます。「敵の仕業だ」つまり、自分が蒔いたのは「良い種」であったことは間違いないこと、そして敵がこの毒麦を蒔いたということは、自分には敵対する者がいるということです。僕たちは「では、行って抜き集めておきましょうか」と提案します。芽が小さいうちに抜き取るということ、それは通常行われていたことですし、常識的なことでしょう。しかし主人は「いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで両方とも育つままにしておきなさい」と言われ、僕たちの提案を受け入れませんでした。

小麦を栽培するときには、ご存知のように芽が出て5cmぐらいになったら、土が乾いている日に麦踏みをします。暖かくなって大きく育つ時期まで2週間に1度麦踏みを繰り返すことによって、根がしっかりと張り、枝分かれし、収穫が増えます。麦は麦踏みをしなければ根を張りません。毒麦の方が強い根を持っているので、毒麦を引き抜こうとすると、まだしっかりと根を張っていない麦も一緒に抜いてしまう危険性があるからです。悪いものをぬくことによって、良いものまでも抜いてしまう危険性がある。弱い者であっても良いものを育てるために、悪いものもそのままにすることを主人は選んだのです。

そして刈り入れのときがやっています。「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦のほうは集めて倉に納めなさい」と命じられました。収穫のときは、麦と毒麦は識別ができるようになり、毒麦だけを除去することは容易になります。

後半部分は、イエス様は「群衆を後に残して家にお入りになった」と記されていますから、群衆に対してではなく、弟子たちに対して、たとえの説明をします。「良い種を蒔く者は人の子」つまりイエス様ご自身であること」、「畑は世界」「良い種は御国の子ら」「毒麦は悪い者の子ら」とあります。この世には「御国の子」と「悪い者の子」が共存しているのです。「毒麦を蒔いた敵は悪魔」「刈り入れは世の終わりのこと」「刈り取る者は天使たち」明確に7つの言葉について説明をしていきます。しかし前半部分と後半部分で大きく違うことが3つあります。第一に主人と僕たちの会話がなくなっていること、第二に後半部分の中心は「刈り入れのとき」になっていること。そして第三に譬え本体の中心的な教えは、良いものと悪いものの共存。両方とも育つままにしておくことでしたが、後半の譬えの説明では、終末の審判において、善悪が明確に識別され、つまずきになるものは、すべて燃え盛る炉に投げ入れるという厳しい裁きが強調されます。

「敵の仕業だ」と聞いた正義感の強い僕は、すかさず「行って抜き集めておきましょう」という提案をするのに、主人は「刈り入れの時まで両方とも育つままにしておきなさい。」と言われました。僕は敵によって蒔かれた悪をのさばらせておくことは許せない、自分の手で何とかしたいと思うのですが、主人はその提案を受け入れず、「そんなにあわてるな。あわてると間違えてしまうぞ。」と止められます。主人は、毒麦を抜くことよりも、間違えて良い麦を抜いてしまわないようにということを優先されました。そして「収穫のときまで待て」という判断をされます。神様であれば、この段階で毒麦と良い麦の根をきちんと分けて、毒麦だけを間違えずに抜き取ることは可能であったでしょう。それでも「待て」と言われたということは、麦であれば、良い麦と毒麦を識別することができるかもしれませんが、人間の場合は、この人は良い麦で、あの人は毒麦というように簡単にわかりません。「敵の仕業」によって毒麦であったとしても、いつかは良い麦にかえられることもあるかもしれない。神様はそのように待っておられる方なのではないでしょうか。麦は、毒麦の種であれば収穫のときまで毒麦ですが、人間は、今は確かに毒麦かもしれないけれど、来年、再来年、10年後、20年後には、良い麦に変えられるかもしれない。神様はそのときを待っていてくださる方なのです。だから「ちょっと待て、今は抜くな」と言われているのです。私たち人間は毒麦を良い麦に変えることはできません。主イエスは私たちの毒を消して良い麦に変えられる力を持っておられ、そのためにいつまでも待ち、祈っておられる方です。そしてそのために自ら十字架の苦しみを受けられたのです。終末の裁きのときは、神様がなさることであるから、「お前はそうあせるな。自分で裁きをくだそうとすると、良い麦を一緒に抜き取ってしまうかもしれない。だから私に任せなさい」と言っておられるのです。主イエスは、刈り入れのときまで、忍耐強くご自分の命をかけて、私たちが良い麦をなって歩むことができるように、たとえ悪い麦であっても、良い麦に変えられるように待っていてくださっているのです。主が導いて下さる道、正しい方向へ歩み出していくことができるように、主にすべての委ね、差し伸べてくださっている手を捉えることができるように、共に祈り求めてまいりましょう。

 

柳川で出会った母校

先週の月曜日の夕方から柳川に行きました。ブラタモリで特集されていたこともあり、川下りを楽しみにしていました。宿泊したホテルの前から乗船、30分ほどの川下りでしたが、のんびりと柳川の風景を楽しむことができました。柳川では、おきまりの観光コースで、北原白秋生家・記念館、柳川藩主立花邸 御花を訪ねました。私の母校、東洋英和の校歌は、北原白秋作詞、山田耕作作曲により、1935年、創立50周年の記念祝賀会において初めて唱われたと学院の140年誌に記されています。1931年に当時のハミルトン校長が校歌の作成を呼びかけたことが発端となり、同年9月10日に文部省令第二十一号が公布され、学校内で歌う唱歌への規制が厳しくなり、校歌など学校固有の歌は文部大臣の許可が必要となり、これに伴い、校歌を作る学校が増えました。校歌選定委員会は、北原白秋と山田耕作による素晴らしい他校の校歌に出会い、作詞を依頼したそうです。 3番の歌詞に「楓よ 東の道(ことば)ある我が学び舎」とあります。白秋は、東洋英和に足を運び、その精神に触れて作詞したと言います。当時の『新約聖書約翰伝全』にヨハネ1章が「太初に道あり道ハ神と偕にあり道ハ即ち神なり」と記されていたことから、当時の聖句から導かれた「道」がキリスト教の神を意味していたことがわかります。「東の道ある我が学び舎」とは神の信仰に基づく日本のミッションスクールを指しているのです。記念館には、白秋の校歌の自筆原稿と楽譜が展示されていました。写真を同級生数人に送ると、その場で懐かしく校歌を口ずさんだと返信がありました。
(『東洋英和女学院140年誌』参照)

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