「心の広さ」2026年9月19日 聖霊降臨後第17主日 説教要旨

第一日課  ヨナ書3章10節~4章11節
第二日課  フィリピの信徒への手紙1章21~30節
福音書   マタイによる福音書20章1~16節


心の広さ

主イエスは、天の国は次のようにたとえられるということで、「ぶどう園の労働者」のたとえを語られました。当時、ガリラヤでぶどう園を持っている主人は、農民たちから土地を奪い取り、それらを合わせてぶどう園をつくった大土地所有者でした。農民は、自分たちの先祖伝来の土地が奪われ、生活のために穀物や野菜を作り育てていた土地を、金儲けのためのワイン造りのぶどう園に変えられてしまいます。そしてその土地で日雇い労働者として雇われている状況で、食べる物にも事欠くような生活に追い詰められていました。

ぶどう園の主人は、自分のぶどう園で働く労働者を探しに広場へ出かけて行きます。最初は、夜明けと同時に出かけ、何人かを雇いました。夜明けと同時に雇った人々に対しては、1日1デナリオンの約束でした。主人はその後、9時ごろまた広場に行ってみると、まだ仕事のない人がいます。主人は、最初に雇った人とは異なり、賃金は明確にはせず、「それなりの賃金を払うから」と言って雇います。その後12時ごろ、3時ごろにも広場へ出かけ、彼らにもぶどう園に行って働くようにと指示します。最後夕方5時ごろに行ってみると、まだ立っている人がいました。「なぜ何もしないで1日中ここに立っているのか」と尋ねると、彼らは「だれも雇ってくれないのです」と答えました。主人は「あなたたちもぶどう園に行きなさい」と連れて行くのです。「だれも雇ってくれないのです」と答えていることから、労働力の期待できない弱い立場の労働者であることが考えられます。

大土地所有者たちにとって、自分の家の奴隷は、労働者として価値があり、自分の所有物だったので、大事に扱っていました。しかし日雇い労働者に対しては、悪い条件できつい仕事をさせていました。失業者が溢れている中で、日雇い労働者を出来る限り弱い立場に置き続け、きつい労働でも文句なしに飛びつかせるようにしていました。たとえ低賃金であっても雇ってくれるのであれば飛びついてきたのです。

夕方になって、ぶどう園の主人は管理人をよび、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順番に賃金を払っていきます。賃金は何時に来た人も全く同じ、1デナリオンでした。朝から働いていた人は「丸一日、暑い中を辛抱して働いた私たちと同じ扱いをなさるとは」と不平を言います。しかし主人はその一人に「友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたは私と1デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。私はこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ」とたしなめます。朝からひたすら働いてきた人が、不平を言いたくなるのもわかります。しかしこのたとえは、天の国のたとえであり、天の国のシステムが、この世のシステムとはいかに違うかということなのです。

このたとえ話で、印象的なことは、主人が1日のうちに何度も広場に出かけていくということです。夜明けとともに出かけて行ったあと、9時ごろ、12時ごろ、3時ごろ、そして夕方の5時と5回も出かけて行きます。何のために何度も出かけていくのか。ぶどう園の自分の仕事をさせるためではありますが、それは同時に、仕事がなくただ1日立っているしかなかった彼らに対しても喜びと平安を与えるため、その日生きる糧を与えるためでもあります。この世の常識をはるかに越えた温かさが感じられます。特に夕方5時まで仕事が見つからず、1日中広場に立っていた人は、労働力としても価値がなかったということでしょう。日雇い労働者の多くは、貧しい農家の次男以下の息子たちでした。農家ではそれほど広くない土地を長男だけが相続し、次男以下の息子たちは、土地を持つこともできず、都市で何等かの労働をする機会を求めて働いていました。都市では土木建築労働、運搬業、料理の下働き、家畜の飼育など、仕事もあったので、普段は都市で生活をし、収穫期のような農繁期になると、ぶどう園などで雇ってもらうことを期待して地方に移動し、仕事を求めていました。しかしそのような生活ですから、まともな住環境もなく、医療も受けられず、体力は落ち、病気や障がいを抱えている者も多くいました。どんな仕事であっても与えられるのであれば、生きていくためには飛びつかざるを得ない状況にあったのです。

主人は、夜明けに雇う労働者に、夕暮れまでの1日の労働に対して1デナリオンの日当を約束します。これは健康な成人男性労働者の平均的な日当ですが、一家族の生活を支える額にはなりませんでした。1デナリオンの日当で働く日雇い労働者は毎日雇われるわけではなく、年間最大で200日、2日に1日の割で雇われれば良い方でした。ですから最後に来たものが1デナリオンを支払われている様子を見れば、自分たちはたとえ最初の約束が1デナリオンであっても、もっと支払われるだろうと期待することは当然のことでした。しかも主人は、不平をいう夜明けから働いた労働者に対して、「自分の分を受け取って帰りなさい」と追い返してしまいます。この人たちの労働を評価するような言葉かけは何もありませんでした。

私たちの人生においても、この世の常識では理解できないこと、理不尽なことに遭遇することは多くあります。特に自分の成し遂げた業績に対して正当な評価が得られなかったときには、不満を感じてしまいます。

このたとえの「時間」が私たちの人生の時期であるとすれば、私たちは、どこに自分を見出すでしょうか。クリスチャンホームで育ち、幼いときから教会生活を続けてきた人は「夜明けとともに」雇われたものと言えるかもしれません。ご高齢になってから、教会に導かれて、あるいは人生の最後のときに病床において洗礼を受けられる方は、夕方5時に雇われたものと言えるでしょう。それぞれの人生において、主と出会い、招き入れられ、それぞれの信仰生活を始めます。それぞれの人に相応しい場所、相応しいときがあります。あるいは教会生活においても、教会の奉仕を熱心にされ、働かれる方もいれば、ご高齢になり、人に迷惑ばかりかけていると負い目を感じつつ礼拝に来られている方もおられることでしょう。しかし主イエスに従って生きることの恵みは、今このとき、誰に対しても同じように与えられています。私たちは主の復活のできごとによって、永遠の命が与えられることを約束され、聖霊の力によって主とつながっていることが赦されています。主は広い心で、すべての人を同じように招き入れ、すべての人に同じように恵みを与えてくださっています。私たちが主の招きに気づかずにいるときには、夜明けとともに、9時、12時、3時、そして夕方5時に来てくださる主は、何度でも来て私たちを招いてくださっています。そして「友よ」と声をかけてくださり、すべての人に同じように恵みを与えてくださっているのです。主の招きは、今このときも、与えられています。

その土地のことを知ること 

草苑が新しく佐賀市多布施に建設を始めることになり、25日、起工式の司式を依頼されました。多布施という地域のことを知るために調べてみたところ、「多布施」の地名は、田を耕作するために滞在する小屋がある場所を意味する「田伏(たぶせ)」に由来するそうです。江戸時代初期、成富兵庫茂安が、石井樋を築造し、多布施川の水量を調整して佐賀城下への飲料水や灌漑用水の確保、水害防止が実現しました。幕末には、ペリーの黒船来航による危機感から、幕府の依頼を受けた佐賀藩が江戸湾防備のための鉄製大砲を鋳造する「多布施公儀石火矢鋳立所」を建設しました。当時日本屈指の最新鋭工業設備として、日本の近代化や軍事技術の発展に大きな役割を果たしました。今は、豊かな自然・歴史が調和した閑静な住宅街だそうです。

九州は読み方が難しい地名もあり、赴任当初は、筑紫野市も「つくしのし」と読むのかと思っていました。ようやく「原田(はるだ)」「朝倉街道(あさくらがいどう)」「春日原(かすがばる)」正しく読めるようになってきましたが、その地域の歴史を調べるとさらに色々なことが分かり、馴染みを感じます。今はスマホを開くとすべてAIが瞬時に必要な情報を提供してくれます。AIのリスクを巡る懸念が強まっており、AI業界の経営トップの一部からは、開発ペースを落とすよう呼びかける動きが出ています。地域の歴史を知るためには、AIを活用しても良いでしょうか?かなり助けられています・・・

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