第一日課 ミカ書4章1~5節
第二日課 エフェソの信徒への手紙2章13~18節
福音書 ヨハネによる福音書15章9~12節
剣を鋤に、槍を鎌に
「剣を鋤に、槍を鎌に」、ミカ書4章1~3節の言葉は、イザヤ書2章2~4節とほぼ同じ言葉で、旧約聖書の中でも最も有名な言葉とも言える「万軍平和の預言」です。ニューヨークの国連本部ビル前の広場には、イザヤ書の言葉が記された、「イザヤの壁」という石碑が建ち、旧ソ連から寄贈された、剣を鋤に打ち直しているエフゲニー・ヴェチェティッチによる銅像が設置されています。しかし今や「イザヤの壁」に刻まれた言葉も、銅像も虚しさを感じてしまいます。
ミカ書が書かれた時代は、紀元前8世紀後半です。北イスラエル王国は、アッシリア軍の侵略を受け、721年首都サマリアを攻略され、滅亡してしまいます。ミカの活動はこのサマリアの陥落の前、紀元前725年ころから紀元前702年の前ごろまでであろうと考えられています。この時期にミカは、サマリアが偶像礼拝の罪のために神からの裁きによって滅びること、エルサレムも神の審判を逃れられないことを語っています。
「終わりの日」、終末のとき、シオンに全世界の民が集まり上ってくる。「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう」というよびかけは、シオンに集まる全世界の民の声です。主の教えはシオンから、集まって来た全世界の民から発せられます。主は多くの民の争いを裁き、強い国々は裁きを受け、終わりの日には、すべて戒められる。そして主が直接統治する永遠の平和が約束されます。国や人々を傷つける剣や槍といった武器は廃棄され、そしてその金属は平和な産業の道具である農機具、鋤や鎌に作り変えられる。「どの民もおのおの、自分の神の名によって歩む。我々は、とこしえに我々の神、主の御名によって歩む。」今は困難な状況に置かれていても、終わりの日には、必ず主の平和が実現するという人々の強い意志表明の言葉です。
今日は、み言葉の歌として、教会讃美歌増補分冊53番「平和の祈り」を選びました。この「平和の祈り」は13世紀のアッシジのフランチェスコに由来すると信じられてきた有名な祈祷文ですが、実際の作者は別で、20世紀初頭のフランスの雑誌などで発表され、のちに世界中に広まりました。マザー・テレサもこの「平和の祈り」を愛されたと言います。マザー・テレサは、世界平和は大きなことではなく、私たちの身近な心の静まりから生まれると教えています。身近な笑顔や愛こそが平和の基本であると言います。「理解されるよりも理解することを。愛されるよりも愛することを。」身近な人を理解し、愛することから平和が始まるというのです。
エフェソの信徒への手紙は、パウロ本人によって書かれた書簡ではなく、紀元90~100年頃の小アジアの都市において、パウロの流れを組む教会の有力な信徒によって、パウロの名前を冠して書かれた書簡です。そして異教の信仰からキリスト教に回心した異邦人信徒たちに対して書かれました。エフェソ書は一貫して「一致」ということを中心テーマとして説いています。「一致」は「和解」とほぼ同じ意味で使われています。「以前は遠く離れていたあなたがたは、今、キリスト・イエスにあって、キリストの血によって近い者となりました」私たちは、キリストの十字架によって、神様を知らないものから、神様と近い者になることができました。「キリストは私たちの平和であり、二つのものを一つにし、ご自分の肉によって敵意という隔ての壁を取り壊し、数々の規則から成る戒めの律法を無効とされました。」とあります。「キリストの平和」とは、平和な時期というよりもむしろ平和な関係を示します。キリストによって、神様と人、人と人との間に平和な関係が築かれるということです。そして「二つのものを一つにする」「隔ての壁を取り壊す」「無効とする」3つの動詞が続いています。
「二つのものを一つにする」ということは、二つの別々のものを一つに作り変えることができるということです。これには、二つの考え方があると思います。一つは、「天にあるもの」と「地にあるもの」、「神の世界」と「人の世界」を一つにするということ、両者の間にあった越えられない壁がキリストによって取り壊され一つされたということです。もう一つの考え方は、人間の二つの異なるグループ「ユダヤ人」と「異邦人」という二つのグループの隔てをなくして一つとすることと理解することもできます。
「隔ての壁を取り壊す」、キリスト教は、ユダヤ人から始まりすべての異邦人に向けて宣教されました。コリントの信徒への手紙でパウロは「ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、私自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。」と記しています。パウロは、すべての隔ての壁を取り壊して、宣教活動を続けます。「隔ての壁を取り壊す」とは、全ての人を分け隔てなく愛されたキリストの示された生き方です。
「数々の規則から成る戒めの律法を無効とされます」律法を守ることはユダヤ教の中心であり、先祖代々から引き継がれている神の恵みの道、神に従って生きる道でした。ユダヤ人であるパウロにとって、律法は聖なるものであり、良いものです。ですから律法が廃棄されるということではありません。律法を守ること、遵守することができない人を排除することではなく、律法から自由になるということを示されます。
3つのこと「二つのものを一つする」「隔ての壁を取り壊す」「律法が無効とされる」このことによって、キリストは二つのものを一人の新しい人に造り変えて平和をもたらしてくださったのです。
尊い命が失われ、安全で安心できる当たり前の暮らしが奪われ、死の恐怖の中で暮らさなければならない戦争は、だれもが正しいこととは思っていません。誰もが平和を望んでいるはずです。それでも世界のあちこちで戦争や紛争は続いています。イラン・アメリカの戦争、ウクライナ戦争、ガザ戦争、スーダン内戦、ミャンマー内戦、シリア内戦など、大規模な戦争や武力紛争が続いています。一つ一つが、「人と人の殺し合い」です。日々のニュースは、どこかフィクションのように捉えがちで、慣れてしまっているような自分に気づくこともあります。このような国家間あるいは、内戦だけではなく、国家が関与しない武力衝突、越境テロ、統治崩壊に近い治安危機、国境をめぐる軍事的緊張などもあります。それらの戦争、紛争は国際経済にも影響を及ぼし、私たちの生活をも脅かしています。日本の2026年度の防衛関係費の当初予算は、過去最大となる9兆353億円ですが、GDP比2%目標は、当初予定より前倒しされ、補正予算を含めた2025年度には約11兆円規模となり達成されました。宇宙・サイバー領域の強化、弾薬の確保、自衛官の処遇改善などを重要分野としています。
1945年8月の敗戦、広島・長崎への原爆投下を受け、日本のキリスト教会では教派を問わず、8月の第一主日を平和の主日、戦争をやめ、世界の平和を神に祈る特別な日として定めています。今日は教会の祈りとして、九州教区 社会・奉仕部が定めた「2026年平和の祈り」を共に祈ります。祈りを合わせ、平和を諦めない決意を新たにいたしましょう。大きなことからではなく、身近なところから心の静まりからキリストの十字架による平和、キリストの血による平和の実現を望み、祈り続けてまいりましょう。みこころが天で行われる通り、地にも行われますように。「剣を鋤に、槍を鎌に」殺し合いのために用いる武器が、平和の道具として造り変えられるように。
島原そうめんの歴史
先週の林檎の樹の会のときには、九州教区青年会が毎年斡旋してくださるそうめんを用意してくださいました。島原手延そうめんのルーツについては諸説ありますが、そのひとつが小豆島伝来説です。1637年の島原の乱による荒廃後に、小豆島から移り住んだ人たちによりそうめんづくりが伝えられたという説です。もう一つは、中国伝来説です。1613年に江戸幕府によってキリシタン禁教令が発布されると、キリシタンではないことを証明するために唐人たちは、興福寺・福済寺・崇福寺の3寺院を建立しました。これらの唐寺における仏事や一般の食生活として「索面(さくめん)」が積極的に生産され、約400年前、島原半島にこれらの僧によってその製法が伝えられたのが発祥ではないかと言う説です。島原半島におけるキリシタンの歴史と特産品の島原そうめんは、世界遺産の原城跡がある南島原市などの地域で深く結びついており、キリシタン文化の象徴である「花クルス」をあしらったご当地グルメ「島原そうめん鉢」などにその名残が生かされています島原そうめんは、日本五大そうめんの一つですが、強いコシ、つるりとした喉越し、そして茹で伸びしにくい特徴を持っています。
猛暑が続き、食欲がなくなっているとき、そうめんは気楽に食べられる貴重な食材です。私は祖母が「揖保乃糸」が好きだったこともありいつも「揖保乃糸」を選んでいましたが、こちらに来て出会った「島原手延べそうめん」、密かにファンになっています。しかしそうめんは思いのほか糖質が多いので食べ過ぎには要注意です。 (島原手延そうめんHP参照)
