「見えるようになる」2026年3月14日 四旬節第四主日 説教要旨

第一日課 サムエル記上16章1~13節
第二日課 エフェソの信徒への手紙5章8~14節
福音書   ヨハネによる福音書9章1~41節


2011年3月11日 東日本大震災から15年が経ちました。地震だけではなく、津波の被害、そしてさらにその後の原発事故による被害、災害関連死も含めた死者18,131人、行方不明者2,829人という甚大な被害となった災害は、誰が罪を犯したわけでもありません。私たちは不幸と思えることが起こると、「何でこんなことが起こるのか」「どうして私なのか」と考えてしまいます。しかしキリスト教は因果応報のような考え方はしません。そのことが何等かの障がいを負って苦しみ悩んでいる多くの方に希望の光を与えてきました。

イエス様と弟子たちの一行は、生まれつき目の見えない人を見かけ、弟子たちは、「先生、この人が生まれつき目が見えないのは、誰が罪を犯したからですか。本人ですか。それとも両親ですか」と質問をします。イエス様は弟子たちの質問に対して「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」と答えられます。イエス様は「両親の罪を子が負うことはない」ということに留まらず、さらに「神の業がこの人に現れるためである」と、その苦しみの目的を明らかにされました。
「イエスは地面に唾をし、唾で土をこねて、その人の目にお塗りになった。そして「シロアムー『遣わされた者』という意味―の池に行って洗いなさい」イエス様が言われた通りにすると、その人は見えるようになりました。唾というのは、古代世界では医薬品の役割を果たす、癒しの力があると信じられていました。「シロアム」というのは「遣わされた者」つまりは、イエス様ご自身のことです。つまりはイエス様によって彼は見えるようになったのです。
彼は見えるようになると、帰って行きます。「これは、座って物乞いをしていた人ではないか」「その人だ」「いや違う。似ているだけだ」人々は口々に言います。物乞いをするしか生きるすべがなかった生まれつき目の見えない人が見えるようなった、このことは人々にとっても興味深いことだったのでしょう。彼は「おまえはこの間まで、座って物乞いをしていた人か」と問われたわけではないのに、自分から「私がそうです」と答えます。「イエスという方が、土をこねて私の目に塗り、『シロアムに行って洗いなさい』と言われました。そこで、行って洗ったら、見えるようになったのです」自分の言葉で、事実を語ります。そのことによって、彼はファリサイ派の人々のところに連れていかれてしまいます。

「神の業がこの人に現れるためである」イエス様の答えらえた言葉について考えてみましょう。「神の業」それは生まれつき目の見えない人が見えるようになったという癒しの行為そのものということもできます。その人は目が見えることによって、物乞いをするしか生きる術がなかったこれまでの人生と全く異なる新しい生き方ができるようになったのですから、まさに「神の業が現れた」と言えます。しかしこれだけでなく、その後の展開においてさらに明らかにされていきます。
単にその人が見えるようになっただけではなく、その目が開けられたのが、安息日だったということが問題となっていきます。安息日律法を遵守するファリサイ派の人々にとって、議論の中心はこのことに移っていきます。安息日律法を守ることができないような人が神のもとから来た者であるはずがない、と思うのです。そしてその人に再び「目を開けてくれたということだが、お前はあの人をどう思うのか」と問います。彼ははっきりと「預言者です」と答えます。
彼らはそれでも納得せずに今度は彼の両親を呼びます。「この者はあなたがたの息子で、生まれつき目が見えなかったと言うのか。どうして今は目が見えるのか」と二つの質問をします。両親は、「これが私どもの息子です。生まれつき目が見えなかったことは知っています」と答えますが、二つ目の質問「どうして今は見えるのか」という質問に対しては「本人にお聞きください。もう大人ですから」とかわしてしまいます。事実を語ると会堂から追放されてしまうからです。会堂から追放されるというには、単に会堂に入れないということではなく、共同体から外されることを意味していたからです。両親は自分の身を守るために、息子を自分たちから切り離してしまったのです。
ファリサイ派の人々は、目の見えなかった人を再び呼び出して質問します。「神の前で正直に答えなさい。私たちは、あの者が罪人であることを知っているのだ」ファリサイ派の人はこの人の口から「安息日に人を癒す行為をする人は、罪人である」という答えを期待し、脅しにかかるのです。しかし彼は「あの方が罪人かどうか、私にはわかりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかった私が、今は見えるということです」 と答えます。彼はファリサイ派の人々からの厳しい尋問に促されることなく、「見えるようになった」という事実を語ります。この人は単に目が見えるようになっただけではなく、繰り返される厳しい尋問を通して、心の目も開かれ、彼の生き方の中で大きな転換が起こり、信仰が強められていきます。「神の業がこの人に現れた」ということができるのです。
イエス様は彼がファリサイ派の人々とのやりとりを終え、外に追い出されたと聞くと、再び彼と出会います。そして「あなたは人の子を信じるか」と問われます。「主よ、信じます」イエス様の前にひれ伏し、告白します。ただ目が見えるようになっただけではなく、心の目が開かれ、イエス様を主と信じる信仰に導かれ、この方こそ「救い主」であることが分かったのです。単に見えるようになっただけではなく「神の業がこの人に現れた」のです。

「あなたは人の子を信じるか」イエス様は今日も私たちのところに来られ、問われています。新たな戦争が起こり、私たちの生活は脅かされ進むべき道を見失っています。石油高騰のニュースが流れれば、ガソリンスタンドの前に行列が続き、自分の生活を守るために、目先の必要なことへと動いてしまいます。このような中でも戦闘は激しさを増し、尊い命が失われています。これから先どうなっていくのか不安がつのります。どうしてこのようなことが起こるのかと疑問を抱き、私たちは何をすべきなのか、自分の進むべき道もわからなくなってしまうだけではなく、何を信じたらよいのかもわからなくなってしまいます。

神の助けが欲しいというとき、何の助けもないのではないかと疑いを抱き、心が神から離れてしまいます。神は沈黙されているように思います。神はどこにおられるのか、神は隠されているように思います。ルターはこの問題に対して「神は十字架の中に隠されている」と答えます。キリストが十字架の上で苦しんでいるということは、人間の罪を背負い、そのことによって人間の罪は赦されたということです。十字架上で苦しむという姿で神が現れている。隠されていない。むしろ恵みの神が現れている。神の救いの啓示があらわれている。ルターは「隠された神」こそが「啓示の神」であると言います。今、主の十字架の苦しみを思うとき、私たちは十字架上で苦しむという姿で神の救いが示されていることを知ること、十字架の苦しみの中に神の救いの恵みがあらわれていることを信じなければならないのです。ただ十字架の主に全てを委ね、キリストの十字架による救いを求めていくしかないのです。

東日本大震災 2011年3月11日から15年

東日本大震災から15年となり、ここ数日特集番組が放送され、また新聞でも特集記事が掲載されています。私は当時横浜の小学校に勤務していましたから、震度5強の地震を体験しました。学年末の短縮期間中でしたので、殆どの児童はすでに下校していましたが、個人面談を実施していた学年、またインフルエンザで学級閉鎖になった分の補習授業をしていた5年生、卒業準備の6年生が学校にいました。震度5以上の地震が発生すると公共交通機関は点検のためにすべて止まります。教師も児童も帰宅することができず、保護者のお迎えを待つことになりました。道路は大渋滞、保護者は車でも電車でも迎えに来ることができず、50名ほどの児童は学校に泊まることになりました。

私は震災後、ルーテル教会が仙台教会を拠点として活動を始めた「となりびと」を通して、震災の年の夏休みに10日間、またその後も長期休みごとにボランティアに参加していました。「となりびと」が活動を終えてからも、気仙沼のカキ養殖場、わかめの収穫作業、山元町のいちご農家、大槌町の小学校の図書館支援、カウンセリング学会の研修、学生時代の友人を通して福島の訪問など、15回ほど現地に足を運びました。震災の年の夏休み、同僚の先生方5人と共に、仙台教会に滞在して「となりびと」の活動に参加したときのことは忘れられません。事務局長として、現地の活動をリードしておられた立野牧師、石巻の避難所に3か月間滞在された伊藤文雄牧師らの献身的なお働きは、私がルーテル教会に転籍したひとつの大きなきっかけとなりました。具体的作業は、津波の被害にあわれた住居の泥だし、水産工場の泥だしと片付け、田んぼの瓦礫撤去などが主でしたが、我々作業になれないボランティアのできることなど微力でしかなく、役に立ったとは思えませんでした。しかし想像以上の被害の大きさは現地に行って、体験しなければ実感できないことでした。立野先生は特に被害の大きかった石巻港や東松島なども案内してくださり、震災直後の様子などお話ししてくださいました。私たちにとって、見たこと、聞いたことを子どもたちに伝えて行くこと、いつも祈りに覚えて忘れないことが教師としての務めと思い、勤務校では、3月11日前に必ず特別礼拝を守っていました。愛する人、仕事も住居も、そして故郷も全てを失った多くの方のために幼稚園の礼拝でも3.11を語り、祈りました。3.11から15年、そして今年は熊本地震から10年の年です。被害に遭われた多くの方々に、主の慰めと平安が与えられますように祈ります。

 

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