2025年9月13日 聖霊降臨後第14主日 説教要旨
「見つける喜び」
アブラハムの時代からイエス様の時代まで、羊飼いの仕事は殆ど変わらなかったそうです。イエス様の時代、羊など動物を飼うことは卑しい仕事とみなされていました。羊飼いは羊や山羊を食料と水のある所に連れて行き、そして昼夜を分かたず番をしていました。羊はとても臆病な動物で、一匹で行動することはできず、群れになって行動します。群れから離れ、迷子になってしまうと自分の力で戻ってくることはできません。野生動物に命を狙われたときには、自分の力で逃げることもできません。自分で食べ物を探すこともできないので、羊飼いは、羊を十分な食料や水のある所に連れていきました。パレスチナ地方は、岩場のゴツゴツした荒野ですから、羊飼いは、今の季節ならどこに連れて行けば羊のえさとなる草や水を十分に与えることができるかよく知っていました。羊飼いは、杖と鞭、あるいは棍棒のような武器をもっていました。杖は群れから離れてしまいそうになる羊を群れの中に戻すため、鞭や棍棒は野生動物など、敵から羊を守るために用いられました。
「ある人が羊を百匹持っていて」とあります。ここで「持つ」と訳されている言葉は、「所有する」という意味ではなく、羊の飼育について「責任を担っている」ということです。百匹の羊となると、一つの家族ではなく、数家族が共同所有していて、その家族の者たちから雇われた者が羊の番をしていました。羊飼いは、一人ではなく、少なくとも2~3人で一緒に羊の番をしていました。主人公は、百匹の羊の所有者ではなく、仲間、あるいは家族と一緒に百匹の羊の世話をするために雇われていた羊飼いだということです。
羊は夜になると、石で積み重ねた囲いに入れられます。常に盗人や野生動物に襲われる危険にさらされていました。羊飼いは囲いの門に座って夜通し命がけで番をしていました。羊が盗まれたり、野生動物に襲われたりしたときには、羊飼いは雇い主にその評価額を支払わなければなりませんでした。
「見失った一匹を見つけ出すまで捜しまわる」というのは、そのような理由があるからです。しかし見失った羊を探すことは容易なことではありませんでした。岩だらけ、大小の洞窟があちこちにあり、羊は群れから離れ迷ってしまうと、ただ弱々しく鳴くだけ。羊飼いはその鳴き声を聞き分けて自分自身が大けがをする危険があるにもかかわらず、見つかるまで懸命に捜しました。ですから見失った一匹の羊を無事に見つけ出した喜びは大きなものだったのです。
「99匹を野原に残して」と記されていますが、残していった99匹については何も記されていません。おそらく羊飼いは1人で100匹の羊の番をすることはなく、複数の羊飼いが一緒に行動していました。ですから99匹は他の羊飼いが面倒をみていたということです。
見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください。』と言うであろう。大げさなような気もしますが、とても嬉しいことがあったとき、近隣の人々や友人を呼んで、一緒に食事をして祝うのは、日常生活において広く行われていた、長い伝統のある慣習でした。羊飼いが呼びかけて喜びの祝宴は、おそらく近所の親しい人々が男も女も子どもたちもみんな一緒に集まって喜びを共にしていたのではないかと思われます。
続いて「失くした銀貨」の譬えが語られます。「見失った羊」の譬えと同じように失われたものを懸命に探し求め、見出して喜ぶという譬えです。ドラクメ銀貨10枚を持っていたこの女性が、そのうちの1枚を紛失してしまいます。ドラクメ銀貨の価値は地域によって異なり、厳密な評価は難しいのですが、ローマ通貨のデナリオンとほぼ同じ価値があり、労働者1日分の給与に相当すると考えられます。女性にとって1枚を失ったということは、生きるために不可欠なものであり、かなり深刻であったということが想像できます。「見つけるまで念を入れて探す」ということで何とかその銀貨を見つけ出そうと懸命になっている姿が示されています。そして捜していた銀貨が見つかると、友人と近所の人々を呼び集めて喜びを分かち合います。失ったものを見出した喜びがどれだけ大きなものであったかが示されています。
この二つの譬えは、主人公である羊飼いと女性が、失われたものを懸命に捜し出そうとする姿が描かれています。イエス様のご自身の姿です。失われた羊を捜し求める羊飼いは、人々から嫌われ、蔑まれていた罪人、失われた者を捜し求めるイエス様ご自身と言ってよいでしょう。見失ってしまった一匹を見捨てることはなく、懸命に捜し求め、見つけだしたときには、心から喜ぶ羊飼いの姿を通して、イエス様は私たち一人一人をかけがえのない存在として、決して見捨てることはなさらずに見つけ出すまで捜し出してくださる方であるということ示されました。そして見つけ出したときには、「一緒に喜んでください」と共に喜ぶことが求められます。私たち人間は、人の喜びを共に喜ぶことはなかなかできないものです。人の幸せを素直に喜ぶことができない私たちに向けられている言葉です。喜びは個人のものに留めているべきものではなく、他者と共に分かち合うことによって、豊かなものとなり、また他者の喜びを自らも進んで与り、共に祝うことによって、自分自身にも喜びが与えられるということを教えてくださいました。
私たちは、悩み苦しみ、信じることよりも疑いを抱くことが多いものです。それでもイエス様は私たちが主に心を向けることができるまで、決して見捨てることなく、捜し求めてくださいます。そして弱い私たちを、喜びをもって迎え入れてくださるのです。悔い改めの必要のない99匹よりもかけがえのない一匹として、迎え入れてくださる方です。私たちが決して迷いさまようことがないように、神様に結び付けてくださる、つなぎとめてくださる方です。共に神様につながり生かされていることを信じ、たとえ迷い出てしまったときにも、再び見つけ出してくださる神様に全てを委ねて、今日も前に歩み出してまいりましょう。「見つけていただける喜び」を共に分かち合ってまいりましょう。
100年の歴史を越えた出会い
先週の日曜日、久留米教会の主日礼拝、定例役員会を終え、夕礼拝までの時間に、ひとりの男性が千葉県松戸から教会を訪ねて来られました。先祖のことを調べるために、お母様の出身地である久留米まで来て、久留米市役所、図書館で、色々な資料を探しているということでした。母方の先祖である岩谷定次郎という方が執筆された『基督教之特色』という本が、国会図書館に保管されていることが分かり、先祖がキリスト教と関わりがあったということから、久留米市で最も古い教会として久留米教会を訪問されました。『久留米教会創立80年史』に、創設期のことが記されていることは記憶していましたが、家に持ち帰ってしまっていて、在庫がどこにあるか見つかりませんでした。9日まで久留米に滞在されているということでしたので、何か分かったら連絡することをお約束しました。
帰宅後、80年史を読んでみると、「1910(明治43)年の受洗者、転入者」に「岩谷恒子(転入)」「岩谷健、岩谷廉、岩谷荘(小児洗礼)」という記述を見つけ、8日の朝早々にご連絡をしました。まさに岩谷定次郎さんの奥様と、3人の御子息の名前であるということで、再び教会に来られました。教籍簿にも、明治43年、3人のお子さんが「嬰児洗礼」を受けられたことが記録されていました。教籍簿には、本籍地も記されており、さらに80年史の創設期に活躍された人々の写真の中に、岩谷恒子さんのお姿もありました。教籍簿には「嬰児洗礼」という記述のみでその後の消息は分かりませんでした。本を出版された御親族の住所が横浜市寿町になっていたことから、近隣で横浜の中でも古い教会である海岸教会、指路教会に何らかの手がかりがあるかもしれないということをお伝えしました。100年以上の歴史を越えた、創設期に教会を支えてくださった方の末裔との出会いを通して、神様のなさる業に感動した出来事でした。
100年の歴史を越えた出会い
先週の日曜日、久留米教会の主日礼拝、定例役員会を終え、夕礼拝までの時間に、ひとりの男性が千葉県松戸から教会を訪ねて来られました。先祖のことを調べるために、お母様の出身地である久留米まで来て、久留米市役所、図書館で、色々な資料を探しているということでした。母方の先祖である岩谷定次郎という方が執筆された『基督教之特色』という本が、国会図書館に保管されていることが分かり、先祖がキリスト教と関わりがあったということから、久留米市で最も古い教会として久留米教会を訪問されました。『久留米教会創立80年史』に、創設期のことが記されていることは記憶していましたが、家に持ち帰ってしまっていて、在庫がどこにあるか見つかりませんでした。9日まで久留米に滞在されているということでしたので、何か分かったら連絡することをお約束しました。
帰宅後、80年史を読んでみると、「1910(明治43)年の受洗者、転入者」に「岩谷恒子(転入)」「岩谷健、岩谷廉、岩谷荘(小児洗礼)」という記述を見つけ、8日の朝早々にご連絡をしました。まさに岩谷定次郎さんの奥様と、3人の御子息の名前であるということで、再び教会に来られました。教籍簿にも、明治43年、3人のお子さんが「嬰児洗礼」を受けられたことが記録されていました。教籍簿には、本籍地も記されており、さらに80年史の創設期に活躍された人々の写真の中に、岩谷恒子さんのお姿もありました。教籍簿には「嬰児洗礼」という記述のみでその後の消息は分かりませんでした。本を出版された御親族の住所が横浜市寿町になっていたことから、近隣で横浜の中でも古い教会である海岸教会、指路教会に何らかの手がかりがあるかもしれないということをお伝えしました。100年以上の歴史を越えた、創設期に教会を支えてくださった方の末裔との出会いを通して、神様のなさる業に感動した出来事でした。