第一日課 イザヤ書50章4~9a節
第二日課 フィリピの信徒への手紙2章5~11節
福音書 マタイによる福音書21章1~11節
「子ろばに乗って」
イエス様は、公生涯のほとんどをガリラヤ地方で過ごされました。しかしその生涯の最後の時、ユダヤ民族の霊的な首都であるエルサレムに入られました。そしてエルサレムにおいて、受難の出来事が起こり、エルサレム郊外において十字架にかかって死なれました。それは偶然起こった出来事ではなく、神様によって定められたことであり、主イエスの御業はエルサレムにおいて成就されなければなりませんでした。
イエス様は、エルサレムに近づき、ベトファゲに来たとき、二人の弟子を使いに出してろばを用意させました。
「向こうの村へ行きなさい。するとすぐに、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。それをほどいて、私のところにひいて来なさい。もし、誰かが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐに渡してくれる。」弟子たちは、イエス様の言葉に従います。ろばの持ち主も「主がお入り用なのです」という言葉を聞いて、ろばを提供しました。神様の計画のなかであらかじめ決められていたことであったからです。
ゼカリヤ書9章9節、10節には、次のように記されています。
「娘シオンよ、大いに喜べ。 /娘エルサレムよ、喜び叫べ。/あなたの王があなたのところに来る。
彼は正しき者であって、勝利を得る者。/へりくだって、ろばに乗ってくる/雌ろばの子、子ろばに乗って
わたしはエフライムから戦車を/エルサレムから軍馬を絶つ。/戦いの弓は絶たれ/この方は諸国民に平和を告
げる。」
人々が期待する救い主である王は、軍馬に乗って、多くの従者を従えて行列をなして入城し、それが革命開始の合図となるのに相応しい形です。人々はこの新しい王による大革命によってこれまでのローマ帝国の支配下に置かれていた苦しみから解放されることを期待していたことでしょう。しかし人々の期待とは全く異なる形で、子ロバに乗ってイエス様はエルサレムに入城されます。
過越し祭の週を迎え、エルサレムの都は巡礼者でにぎわっていました。弟子たちはイエス様に命じられたようにろばと子ろばを引いて来ます。ろばであれば当時の人々は重い荷物を運ぶため、あるい乗り物として用いていました。しかし子ろばはこれまで重い荷物はおろか、人を乗せることもなかったことでしょう。その子ろばに鞍の代わりに上着をかけ、その上にイエス様はお乗りになりました。王の都入りの乗り物としては、軍馬のほうがよほどふさわしいものです。馬のほうが足も速く、背も高く立派です。しかし軍馬は戦いの武器であり、権力の象徴でした。ゼカリヤの言葉によると、主なる神は「エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ、諸国の民に平和が告げられる」と言われました。戦いによって、相手を屈服させることでは、真の平和はもたらされません。力によって相手を押さえつけたのでは、反撃、報復が繰り返されるだけだからです。
「へりくだって、ろばに乗り」、主イエスは本来であれば馬に乗って入城されることが相応しい方なのです。しかし「へりくだって」、自分を低くされて、ろば、しかもまだ人を乗せるとふらついてしまうような子ろばに乗って、人々と同じ視線に立たれて入城されました。それは、人々に真の平和をもたらすためでした。
今、世界中あちこちで戦争、紛争が絶えず、力によって、武力によってしか平和をもたらすことはできないという方向に動いているこのような時にこそ、主イエスがどのように平和をもたらされたかを学ばなければなりません。「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」エフェソの信徒のへの手紙にはこのように記されています。主イエスは、本来は軍馬に乗って、入城すべき方であるのに、へりくだって、子ろばに乗って来られました。そして平和を実現させるために、苦しみをうけられ、十字架にかかられたのです。
主イエスが、エルサレムに入城するとき、群衆は自分の上着をぬいで道に敷き、木の枝を切って道に敷いて迎えました。木の枝とありますが、ヨハネ福音書には「なつめやしの枝」と記されています。「なつめやし」は、勝利や凱旋の象徴でした。群衆は、主イエスを自分たちが長いこと待ち望んでいた救い主、メシアとして歓迎しているのです。群衆は、王として主イエスを歓喜の叫び声をあげてエルサレムに迎え入れます。
「ダビデの子ホサナ。/主の名によって、来られる方に 祝福があるように。/いと高き所にホサナ」
彼らはローマ帝国支配下にあって圧迫されている生活からの解放を求め、この方こそ待ち望んでいたメシアだと確信して歓迎します。彼らは間違いなく救い主を待ち望んでいたのです。しかし数日後には、同じ口から「この男を十字架につけろ」と叫ぶようになります。何と身勝手な人々なのでしょうか。しかし「十字架につけろ」と叫ぶ群衆であっても、イエス様は、彼らの救い主であり続けられるのです。
「あなたはメシア、生ける神の子キリストです」と告白したペトロでさえ、究極のところでは自分の身を守るために「わたしはあの人を知らない」と否定してしまいます。それでも主イエスは、ペトロの救い主であり続けました。
これは2000年前の彼らに限ったことではありません。私たちは彼らを何と自分勝手な群衆だ。愚かな人々だと馬鹿にすることは決してできないと思うのです。私たちも歓喜の声を上げ主イエスを迎え入れる群衆、「この男を十字架につけろ」と叫ぶ群衆のひとりに過ぎないのです。自分の身を守るために「わたしはあの人を知らない」と言ってしまうペトロと何ら変わらないのです。自分の都合の良いときには、イエス様を主として祈り、自分の思い通りにいかないときには主を忘れ、どうして私がこのような目に遭うのか、このような苦しみを受けるのかと、神様から心が離れ、祈ることもできなくなってしまいます。
主イエスは、おのれを低くされ、へりくだって子ろばに乗ってくださる方です。私たちと同じ目線に立ってくださる方です。そして苦しみを受け十字架の死を遂げられることによって、私たちの救い主であり続けられた方なのです。
今週は聖週(受難週)です。主の十字架の苦しみは、私たちのための苦しみです。そして十字架の死によって私たちのすべての罪は赦され、復活によって栄光を現わされ、私たちは新しい命を生きるものとされました。主イエスは、私たちの弱さ、身勝手さ、信仰の弱さをもすべて受け止めてくださり救い主であり続けてくださるのです。
23日から一泊、幼稚園が春休みになり、預かり保育のみになったこともあり、お休みをいただき、唐津に一泊二日行ってきました。九州の地理に弱く、また自分で調べる時間もない私たちのために、教会から現地までの経路、昼食場所、宿泊場所、モデルコースはほぼすべて教会員のAさんに教えていただきました。
10時ころに教会を出発し、Aさんご推薦の糸島の喜八荘で昼食をすませ、唐津に到着後まず曳山展示場に行きました。佐賀県の有形民俗文化財に指定されている唐津曳山14台が展示されていました。曳山は、木組み、粘土の原型や木型の上に和紙を数百回張り重ね、幾種類もの漆で練り上げ、金銀を施して仕上げたもので、完成までに3年前後の歳月を要したと伝えられています。展示されている曳山をみて、実際の唐津くんちの情景を想像するしかありませんが、そこに二人の就学前と思われるお子さんを連れたお父さんが来ていました。まだ4歳くらいの女の子が14台の曳山の写真を見て、すべて名前を言うことができること、くんちのDVDを見ながらお父さんが「○○ちゃんのお父さんだ」と言っていることから地元の方でしょう。幼いときから唐津で育ち、くんちを誇りとしておられるご家族であることがよくわかりました。
幼いときに幼稚園の礼拝で主と出会い、聖書の言葉を聞き、暗唱し、さんびかを歌う、その経験は一生涯その子の心に残り続ける、キリスト教保育の原点です。幼子が曳山の名前をすべて覚えているように、みことばが子ども達の心に残り続けることを祈ります。