「わたしについて来なさい」2026年1月24日 顕現後第三主日 説教要旨

第一日課  ミカ書6章1~8節
第二日課  コリントの信徒への手紙1章10~18節
福音書   マタイによる福音書4章12~23節


イエス様の宣教活動の始まりは、ヨハネの逮捕をきっかけにして、ユダヤ地方の中心であるエルサレム神殿のある町ではなく、ガリラヤから始まりました。マタイ福音書ではイエス様の生涯の重要な出来事を、旧約の預言の成就であることを明らかにするために、イザヤ書8章23節から9章の冒頭を引用しています。

ゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが
後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた
異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。
闇の中を歩む民は 大いなる光を見
死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。

「闇の中」「死の陰の地」とされていた所に住む者たちにイエスが「光」として登場するのです。「異邦人のガリラヤ」と記されていますが、ガリラヤはユダヤ教側からは長いこと「異邦人のガリラヤ」、異邦人とまじって住んでいる汚れたところと思われていました。イエス様が中心のエルサレムではなく、ガリラヤで伝道を始められたということは、福音が異邦人に向けられているということを意味しています。そしてこの田舎の端っこの町で始まった福音宣教は、エルサレムの中心に向かい、そして世界へと拡がっていくのです。

イエス様はガリラヤ湖のほとりで4人の漁師を弟子とします。ガリラヤ湖は、琵琶湖の四分の一ほどの面積の湖です。漁業が盛んで多くの漁師が生活していました。最初に声をかけられたのは、シモンとその兄弟アンデレです。二人は投げ網を打って魚を獲っていたのでしょう。網を打っては獲れた魚を網から取り出す。そんな作業を繰り返していました。その二人にイエス様は、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と声をかけられました。「二人はすぐに網を捨てて従った」と記されています。二人にとってイエス様との出逢いはこれが初めてであったのか、あるいは噂は聴いていたのか、この出来事の前に出会っていたのかもわかりません。網を打つ作業は彼らにとって、生きていくために必要な仕事です。にもかかわらず二人はイエス様と出会い、すぐに網を捨てて従いました。さらにイエス様は別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネにも声をかけます。二人の父親であるゼベダイも舟の中にいて、網の手入れをしていました。漁師は1日の漁が終わると、翌日の漁に備えて網の手入れをします。つまり日常の生活の営みを続けている中での出来事です。この二人もイエス様に声をかけられると、すぐに舟と父親とを残してイエス様に従いました。生きていくために必要な生活の営みをやめただけではなく、父親をも残してイエス様に従いました。
彼らはどうしてこんなにすぐにイエス様に従うことができたのでしょうか。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」という言葉が記されているだけで、4人の漁師の言葉、イエス様とのやりとりは何も記されていません。また父親であるゼベダイと息子ヤコブとヨハネとのやりとりもわかりません。
そんなに急に言われても、私たちは漁師です。いきなり全てを残してあなたに従うことはできません。家族の了解をとってからにさせてください。父ひとりを残していくことはできません。・・・などなど様々なやりとりが考えられるかもしれせん。しかしこの二組の兄弟は、「すぐに」イエス様に従ったのです。

「主に従う」ということは、このように日常から非日常に突然の方向転換です。いろいろなやりとりをして、理由付けをし、納得して従うということではないのです。私たちの日常生活においても、主イエスは私たちひとりひとりに向かって、「わたしについて来なさい」と呼びかけておられるのではないでしょうか。その声に「はい」と言ってすぐに従っていくとき、それは私たちの人生において大きな方向転換の時、イエス様と出会うときです。しかし、その呼び声に気づかないでいるとき、あるいは聞こえているのに無視してしまっているときが多いのです。私たちはイエス様と出会うこともなく、何事もなかったかのように、どんどん離れてしまうのです。

イエス様は、この4人の漁師を弟子とされたとき、「私を信じなさい」と命じられてはいません。「私について来なさい」と言われました。信じるからついていくのではなく、イエス様についていく、従って生きることによって、信仰が育まれていくのです。弟子たちもイエス様とともに宣教活動をしていく中で、イエス様を信じることが出来ない場面は多くありました。イエス様が何でもおできになる方であることが分かっていながらも、5千人の給食の奇跡のときも、ラザロの復活のときも信じることができませんでした。またイエス様の言われることが理解できない場面も数々ありました。私たちは洗礼式のときには「全能の父なる神、父の独り子、主イエス・キリストを信じますか」と問われ、主と会衆の前で「信じます」と宣言をしました。それでも疑い迷うことが多い私たちです。しかし私たちに求められていることは、「信じる」ということではなく「従う」ことなのです。主に従い歩むことによって、自分たちが従っている方がどういう方であるかが分かってくる、私たちが信じるべきお方であることを確信できるようになっていくのです。

パウロはコリントの信徒への手紙で、次のように記しています。
「キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです。」主イエスはこの地に福音を告げ知らせるために教会を建てられました。この地において地域に開かれた教会として福音を告げ知らせるためです。 「わたしについてきなさい」この呼びかけはいつも私たちにも向けられています。その呼びかけに気づき、この呼びかけを私に向けられた言葉として受け止め、キリストに遣わされた者として、この地において主の証人としての働きをなしてまいりましょう。

 

満員電車、人込みのなかで思うこと

先日、濃霧のために、西鉄電車が大幅に遅れる日がありました。私は毎朝7時13分、二日市発の快速に乗るのですが、その時間帯は通勤、通学時間でかなり混雑しています。その日は、駅までの道もかなり霧がかかっていたので、自転車も慎重に走行し、いつも乗る快速には間に合わず、次の急行に乗ることになりました。しかし出発時刻が6分遅れ、その後、筑紫、小郡でもかなり長く停車することになりました。途中駅で高校生が乗ろうとするのですが、「混んでいるから次にしよう」と無理に乗車することなく、諦める場面もありました。長年、東京の山手線の通勤ラッシュに慣れている私にとっては、西鉄の混雑など混雑のうちには入らないので、乗車を諦める高校生に驚きました。結局40分以上二日市から久留米までかかり、久留米教会に到着したときには、1日のエネルギーの半分は使い果たしたような朝となりました。
19日、母の見舞いに東京に行き、羽田→品川→渋谷→用賀という経路で母の入居している施設に行きました。品川から渋谷までは、山手線を利用し、そして渋谷駅で田園都市線に乗り換えるのですが、久しぶりの東京の混雑に圧倒され、渋谷駅では何人もの人とぶつかり、エスカレーターでは後ろから押され、東京の人の多さ、歩くテンポの速さ、人とぶつかっても一言もないせわしなさに戸惑う自分がいました。神学校に通っているときは、毎日山手線を利用し、新宿の人込みをかき分けて中央線に乗り換えていたのに、8か月福岡で生活しただけで、これほどまでに東京のテンポについていかれなくなっている自分に驚き、地方都市と東京の違いを感じ、この4月、新しく東京で生活を始めるであろう、多くの大学生、社会人のことが心配になってしまいました。
混雑した車内でも、周りの人を気遣い無理をしない、信号のない横断歩道で待っている人がいたら必ず止まる、こちらでは当たり前のことが都会ではできなくなっています。自己中心的なせわしなさ、寂しさを感じます。
イエス様の宣教は、エルサレム神殿のあるユダヤ地方の中心ではなく、ガリラヤという田舎の村から始まりました。「ゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた 異邦人のガリラヤは、栄光を受ける(イザヤ8:23)」このイザヤ書の預言の成就でした。ガリラヤ地方は、異邦人も交じって住んでいる汚れたところと思われていました。世界の中心である方が、世界の端っこを選び、そこから宣教が始まり、中心へと広がり、さらに世界の隅々にまで拡がっていくのです。
周りを気遣い無理をしない、ゆとりある生活を大切にする二日市に建てられた教会だからこそ、都会とは異なる宣教の道が開かれていくのではないかと思う出来事でした。

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