主の道を備える 2025年12月6日 待降節第二主日 説教要旨

第一日課 イザヤ書11章1~10節
第二日課 ローマの信徒への手紙15章4~13節
福音書  マタイによる福音書3章1~12節


アドヴェントクランツのろうそく2本に灯がともりました。アドヴェントクランツのろうそくにはそれぞれ意味があります。1本目は「預言のキャンドル」と呼ばれ「希望」を表します。キリストは聖書の預言の成就としてお生まれになった、私たちの希望です。2本目は「天使のキャンドル」と呼ばれ、「平和」を表します。キリストの降誕を告げた天使は、「地には平和」と賛美しました。そして3本目は「羊飼いのキャンドル」と呼ばれ、「喜び」を表します。キリストの降誕を最初に告げられた羊飼いたちは、飼い葉桶に寝かされている幼子イエスを見出し、喜びに満たされました。この3本目のろうそくは薔薇色のろうそくを用いることもあります。それは今日みことばの歌として歌った讃美歌、讃美歌21の248番に歌われています。

エッサイの根より おいいでたる
預言によりて 伝えられし
ばらは咲きぬ
静かに寒き冬の夜に

「エッサイの根から新しい芽が出る」と言う意味は、イザヤ書11章の預言に基づき、ダビデの家系から救い主、イエス・キリストが現れることです。「薔薇」とはイエス様ご自身のことを表しています。そして4本目は、「ベツレヘムのキャンドル」と呼ばれ「愛」を表します。そして最後24日の日没以降、主の降誕日に灯される中央のキャンドルが「キリストキャンドル」です。それぞれのろうそくの意味を考えつつ、主イエスの降誕を心に迎えいれる備えをしたいものです。

イエス・キリストが福音を語り宣教活動を始められる前に、その道備えをした人、洗礼者ヨセフがいました。彼は荒れ野に住んで、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と宣べ伝えました。初代キリスト教の宣教において、洗礼者ヨハネはイエス様の宣教の先駆者として重要な人物でした。この洗礼者ヨハネの登場は、マタイ福音書に限らず、マルコ、ルカもイザヤ書40章の預言と結び付けています。

呼びかける声がある
主のために、荒れ野に道を備え
わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。
谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。
険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。
主の栄光がこうして現れるのを
肉なる者は共に見る。

旧約の預言者たちは、公正で、正義と慈しみに満ちた社会が実現することを願い求めていました。しかし現実の世界は、差別、偏見、格差の社会です。極端な貧しさがなくなり、極端な富の集中もなくなり、不公平がなくなり、不正がなくなり、正義が実現されていくことを願います。そうした働きこそが「主の道を整え、その道筋をまっすぐにすること」であり、それによって、「主の栄光が現れるのを見る」ことができる。この道を整えるために、主の栄光を現わすためにヨハネは登場するのです。

ヨハネの宣教の最初の言葉は、「悔い改めよ、天の国は近づいた」から始まります。これは、イエス様の宣教の最初の言葉と同じです。ヨハネの洗礼を受けるためにファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢集まってきたと記されています。神の怒りに対して備える道は、祭儀的な浄めや形式的な律法遵守やイスラエル民族的特権が通用する時代ではなく、罪の告白と全人的な悔い改めしかないということが強調されます。ヨハネはファリサイ派とサドカイ派に対して真向うから批判をします。ヨハネは、神に敵対する勢力に対抗する姿勢を明らかにします。イエス様が宣教を始められるのは、ヨハネの逮捕をきっかけにしています。ヨハネがイエス様の宣教の道を備え、先駆者としての役割を果たしたことが強調されています。ヨハネとイエス様の教えと生涯は、共通点が多く、すでにヨハネによって示されていたと言ってもよいでしょう。ヨハネとイエス様とは敵対する相手が同じであったというだけではなく、ヨハネの宣教はイエス様の到来によって意味をもつものとなります。ヨハネは最後の預言者であり、「預言の時」はヨハネまでであり、それ以後、新しい時代が始まります。

ヨハネとイエス様の宣教には、決定的な相違点があります。ヨハネの出現と宣教活動はイザヤ書40章3節の引用で明示されて「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」ということが示されています。イエス様の宣教はマタイ4章15節16節で引用されているイザヤ書9章1節2節「闇の中を歩む民は、大いなる光を見 死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた」と言う言葉であり、イエス様によって光が輝いた、救いがもたらされたことを明白にしています。マタイ福音書ではヨハネの洗礼は、「罪の赦しを得させるために」ではなく、あくまでも罪の告白と悔い改めを促すものとされています。罪の赦しはイエス様の十字架の死によってはじめて成立するものであり、ヨハネはその救いへの道への準備として悔い改めを迫り洗礼を授けたということが示されています。11節でヨハネは自らの洗礼は「悔い改めに導くために、あなたがたに水で洗礼を授けている。」とし、自分の後から来る方は「わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない」と言っています。「履物をお脱がせする」のは奴隷が主人にする仕事です。自分はそのような価値もない。自分の後に来られる方はメシア、救い主であることを示します。

マタイ福音書では、特徴的なヨハネの服装や食べ物についても記されています。「らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め」これはエリヤの服装で登場したということです。メシアに先立ってエリヤが再び出現することが期待されていました。主の日が来る前にエリヤが来るという預言を成就するためにヨハネを出現させているといってよいでしょう。
洗礼者ヨハネは、イエス様の宣教の道を整えるために、エリヤの服装で登場し、先駆者としての役割を示しました。「悔い改めよ、天の国が近づいた」と宣教の目的を明白にし、人々の目を集中させ、敵対する者たちへ対抗する姿勢も明らかにしました。洗礼者ヨハネの働きがあったからこそイエス様の歩まれた道は確かなものとされました。洗礼者ヨハネは、イエス様に先立って働きましたが、私たちはイエス様の歩まれた道の上を、イエス様の後に従って歩んでいます。そして同時に、主イエスが再び来られて神の国を完成される日を待ち望み、その日を信じて今を生きています。私たちは時に道に迷い、道を失い、道を外れて歩んでしまうものです。イエス様の降誕を待ち望むこのとき、私たちは心の中にイエス様を受け入れることができるように、備えられた道を見失うことがないようにただ主を見上げて、恵みに感謝して過ごしていきたいと思うのです。主の備えられた道は希望の道、希望の光で示された道です。「神は我々と共におられる」主がいつも共に歩んでくださっていることを信じて希望の道を主に従って歩み続けてまいりましょう。

中川浩之さんを偲ぶ

2025年11月28日の夜、中川浩之(なかがわひろゆき)さん(市ヶ谷教会)が天に召されました(享年89歳)。中川浩之さんは、2000年~2004年は、全体教会の常議員・会計としてご奉仕くださり、また長年にわたって広報でご協力くださいました。12月4日に市ヶ谷教会で葬儀が執り行われました。

中川さんは、市ヶ谷教会の月報の表紙に、2011年1月から10年間、100余回にわたって日本福音ルーテル教会の建物を取り上げたスケッチを掲載されました。二日市教会の週報に用いているスケッチもその一つです。イラストは、実景をスケッチしたものではなく、インターネットのGoogle Mapの画像をスクリーンショットで撮り、これを大まかにトレースして、それをさらに微細に手を加えて仕上げたそうです。Googleカメラはパノラマでワイドレンズを用いていることから、遠近感が強調されています。また必ず電柱、広告、自転車、車といったものが写り込んでいます。それらのものをさりげなく取り除き、補正し、またモノクロームの色調のなかに季節が感じられるように工夫し、苦労して味付けをしていくそうです。二日市教会の週報を印刷するたびに中川さんの穏やかな笑顔とやさしさにあふれた語り口を思い出しています。

私は神学校4年、最後の実習教会が市ヶ谷教会でした。中川さんは、毎週の礼拝のみならず、聖歌隊の奉仕もされ、また聖書研究会、壮年会にも参加されていました。また礼拝に出席できないときも配信で礼拝に参加され、神学生として説教を担当したときには、感想や適切な助言をいただきました。会衆に合わせてゆっくり話すこと、またネット配信は聞き取りにくいので、語尾まで意識してはっきり話すことなど貴重なご助言をいただき、今もその言葉を念頭において説教をしています。突然の訃報に驚いていますが、主の平安を心から祈り、日本福音ルーテル教会におけるこれまでのお働きに感謝申し上げます。

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