希望をもって待つこと 2025年11月29日 待降節第一主日

第一日課 イザヤ書2章1~5節
第二日課 ローマの信徒への手紙13章11~14節
福音書  マタイによる福音書24章36~44節


今日から、待降節、アドヴェントに入りました。教会暦では、待降節から1年の歩みを始めます。クリスマス前の4回の日曜日の期間、アドヴェント・クランツを飾り、4本のろうそくを立て、日曜日ごとに1本ずつ火を灯し、クリスマスを待つ期間、主の降誕の日を迎える心の備えをします。

わたしは主に望みをおき/わたしの魂はのぞみをおき/み言葉を待ち望みます。
 わたしの魂は主を待ち望みます/見張りが朝を待つにもまして/見張りが朝を待つにもまして。

詩編130編の言葉です。この詩編は、旧約聖書のネへミヤの時代であると考えられています。イスラエル民族は、紀元前597年と596年、2回にわたってバビロニア帝国との戦いに敗れ、多くのユダヤ人はバビロンに捕虜として連れて行かれました。彼らは祖国から離された苦しい生活の中で、ときに神の存在を疑い、自分たちが神から選ばれた契約の民であるということに疑念を抱く者もいましたが、預言者たちの働きと励ましによって、彼らはこの苦難に耐えて信仰を守り抜きました。やがて537年、ペルシャ帝国がバビロンを征服し、イスラエル民族を解放し自由が与えられました。これは預言者によって預言されたことの成就であり、大きな喜びでした。しかしバビロンの地は、肥沃で文化豊かな地なので、多くの人々は離れることなく、その地に自由な民として留まり住み着いてしまい、実際に祖国に帰ったのはごく少数の選ばれた民が、ゼルバベルに率いられて帰ってきました。彼らは荒れ果てたイスラエルの復興にあたり、神殿を再興し、城壁の修理をしました。この時期にバビロンからイスラエルに戻って来た民を指導したのが、ネヘミヤです。ネヘミヤ記4章10節には「その日からわたしの部下たちは、半分が作業に従事し、他の半分が槍と盾、弓と鎧を身に着け、将校たちがユダの家全体の背後に控えた」と記されています。半数が工事に従事し、半数が見張りに立って、復旧に当たりました。詩編130編はそのような状況の中で歌われた詩です。主が人間の罪を心に留められ、そして赦しを与えてくださる。人間は罪を赦されたが故に、神を畏れ敬うことができる。だから「わたしの魂は主を待ち望みます」と歌います。罪の故に、誰も主の前に立つことができない存在だから主を待ち望むのです。
マタイ福音書24章には、終末を語る説教が二つ記されていますが、主張点が異なっています。前半部分3節から31節までは、終末までに起こる様々な事象を並べ、これによって信仰者は、現在自分が終末までのどの時点にいるか、ほぼわかるように教えられています。終末が近づいたと慌てる者に対して、まどわされるなと警告します。一方36節以下の後半部分では、「時」については、神のみが知っていることであって、天使たちも子も知らないと言います。終末を遠い未来ととらえ、終末の到来を忘れてしまう者に対する警告でもあります。そして二つの譬え、ノアのときと夜侵入する泥棒の譬えを通して終わりのときはいつ来るか分からない。明日来るかもしれないし、ずっと先かもしれない。いずれにしろその日がいつ来てもよいように備えていなければならないと語ります。
現実の世界において、明るく希望に満ちた未来を思いえがくことが難しくなり、若い世代の間では、未来が現実よりもよくなると考えている人は多くないとも言われています。出生率の低下・少子化は日本に限らず世界の未来に対する不安の一つの象徴的現象なのかもしれません。世界のあちこちで戦争や紛争は続きます。飢えや死の不安と恐怖の中での生活を強いられている地域が多くあります。地震、津波、台風、火山噴火、ハリケーン、サイクロンなど自然災害による被害も続きます。さまざまな要因から、未来が現在よりもよくなると考えることが難しくなっていると言えるのかもしれません。
そのような時代だからこそ、キリスト者は「真の希望」とは何かということを、はっきりと自覚して祈り続けることが求められているのです。私たちの希望とは、キリストによる真の平和の実現です。

 主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。/彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。/国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない(イザヤ2:4)。

イエス様は憎しみ、争いの絶えないこの世において、戦うことをやめ、全ての人の命が大切にされることを望み、人の子としてこの世に遣わされたのです。平和の実現のために全ての人の希望の光となるようにこの世に来て下さいました。
イエス様は「互いに愛し合いなさい」どんな掟よりもまさる「隣人愛」を示されるために、十字架の死に至るまで、神と人にすべてを献げて歩まれました。ご自身を献げて歩まれたイエス様の十字架の死によって、私たちは全てを赦され、新しく生きる命を与えられました。イエス様こそが希望の光であり、この方こそ闇の世を照らす、来るべき未来の希望の根拠であり、未来とは何か、来るべきものとは何かということを示して下さる方です。キリスト者が問うべきことは、神の国の成就というすでに明らかになっている結末を前にして「今、この時代の中で私たちは、何を信じ、何を求め、どのように生きていくべきか、神は何を期待しておられるのか」ということです。
主はかつて来られ、今いまし、そしてやがて再びお出でになる。私たちは主に背中を押され、主が共に歩み、そして待っていてくださる主に向かって進んでいく道が示されています。「その日 その時」に至るまで「主の来臨の希望」を信じて、今与えられている場で、主によって与えられた命を生きることが求められています。「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」私たちの生きる世の形あるものは滅びてしまうけれど、決して恐れることはないのです。この世の滅びを突き抜けた所に希望がある。死をも超えたところに希望がすでに与えられているのです。主イエスはこの世の救い主として来てくださいました。待降節とは、単に2000年前の過去の出来事を憶えるときではなく、終末に再び来たりたもう主を待ち望み、終わりの日に備えるという意味をもっています。決して滅びることがない主の言葉を信じて、「主の来臨の希望」を心に抱き、主にすべてを委ねて今日を生きてまいりましょう。

吉野ケ里遺跡 そして・・・・
23日~25日、東京から友人二人が福岡を訪ねてくれました。23日昼過ぎ、久留米教会に到着して一緒に田主丸に移動し、田主丸教会の礼拝を共に守り、礼拝後は、教会の方々と一緒にクリスマスの飾りつけも手伝ってもらいました。
23日は一緒に二日市温泉に宿泊し、24日は、吉野ケ里遺跡を訪ねました。小学校6年生の社会科で教えてはいたものの、行ったことがなかったので、一度は行きたいと思っていました。私が子どものころは、弥生時代の遺跡というと、登呂遺跡でしたが、昭和61年、工業団地計画に伴う発掘調査が開始され、平成元年、吉野ケ里遺跡が「邪馬台国時代のクニ」等と報道されたため、一躍全国的に注目を集める弥生時代の遺跡となり、縄文時代の遺跡、青森県の三内丸山遺跡とならんで、教科書に掲載されています。弥生時代は、約700年間続く長い時代ですが、吉野ケ里遺跡はこの長い弥生時代のすべての時期の遺構、遺物が発見された学術的価値の高い遺跡です。700年間の時代の変遷、「ムラ」から「クニ」へと発展していった様子が復元された集落、保管倉庫や市楼、甕棺墓列などから分かります。特に興味深かったのが、北墳丘墓です。吉野ケ里遺跡から発見された甕棺墓は約3100基以上に対し、時代、身分の差などにより埋葬方法が異なる墓が400基以上見つかっているそうです。発見され保管されていた甕棺14基が展示されており、本物の持つ迫力を体感することができ、埋葬方法も詳しく説明され、この時代の人々の死の捉え方も想像することができました。広い敷地内は、紅葉も美しく、穏やかな秋の日を友人との対話を楽しみながら堪能することができました。
その後、友人の1人は、梅ヶ枝餅が自分で作りたいと言うことで、大宰府に行き、観光客の多さに圧倒されましたが、梅ヶ枝餅を食べながら研究、早速帰京後、自作の梅ヶ枝餅の写真を送ってくれました。
認定こども園の保育士と、臨床心理士として教育相談、クリニックなどに勤務している友人なので、幼稚園の話、発達特質の子どものことなどそれぞれの経験、苦労を語り合うこともでき、貴重な時間となりました。

 

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