「星の導きによって」 2026年1月3日  主の顕現主日 説教要旨

第一日課  イザヤ書60章1~6節
第二日課  エフェソの信徒への手紙3章1~12節
福音書   マタイによる福音書2章1~12節


主の年2026年を迎え、最初の主日礼拝をこうして皆さんと共に守ることができますことを心より感謝いたします。今日は、はじめの歌として教会讃美歌の49番を選びました。この讃美歌は江口再起先生のお父様であられる江口武憲牧師が作詞された讃美歌です。2節では、

過ぎ去った 日々の悲しみ
さまざまな うれいはすべて
キリストに ゆだねまつって
み恵みが あふれるような
生き方を 今年はしよう

私たちの生きるこの地上の世界は、昨年も様々な悲しい出来事が続きました。イスラエルによるパレスチナ自治区ガザでの戦闘は停戦合意に至りましたが、停戦後も空爆が続き、多くの幼い子どもを含めた尊い命が犠牲になっています。またウクライナの子どもたちは、クリスマス前にサンタさんに何を頼みますかと問うと、「戦争が終わること」と口をそろえて答えます。戦争や紛争は絶えることがありません。キリストによる平和の実現を心から願わずにはいられません。すべての人の命が守られ希望の光が与えられるように祈り続けていきたいと思います。3節では、

み言葉に はげまされつつ
欠け多き 土の器を
主の前に 捧げまつって、
み恵みが あふれるような
生き方を 今年はしよう

今年も欠けの多い私であるけれど、み言葉に励まされ、主の前にすべてを捧げて、み恵みがあふれるような1年でありたいと思います。この讃美歌には、実は5番があるそうです。

この世での 仕事を果たし
召したもう 御声聞くとき
あわてずに 身を整えて
主の御顔 仰げるような
生き方を 今年はしよう

自分の死が近づいたとき、あわてずに身を整えて、最後のときまで、主の御顔を仰げるような生き方をしたいと新年に願う、素晴らしい歌詞だと思いました。皆さんと共にこの讃美歌の歌詞を味わいつつ、この1年を過ごしていきたいと思います。

今日は主の顕現主日です。
マタイ福音書では、最初に救い主の誕生を祝って拝みに来たのは、祭司長たちでも、律法学者でもなく、東方の異邦人、占星術の学者でした。東方の学者たちとは、占星術の専門家で、特定の技術を用いて、政治や経済、社会や天候などについて予測を立てる、神の意思を伝えることを生業とするスペシャリストでした。
占星術の学者たちは、何人であったかは聖書には記されていませんが、贈り物が3つであったことから、おそらく3人であると考えられるようになりました。絵画では三大陸の代表として、ヨーロッパ人、アジア人、アフリカ人として、さらに各世代を代表させて老人、壮年、青年として描かれてきました。
この占星術の学者たちは、これまで見たこともないような星を発見します。そこから情報を得ようと観察し、分析をし、さまざまな文献と付き合わせた結果、それは「救い主の誕生」を告げるしるしであることを突き止めます。彼らはその星の情報に基づいて、「礼拝する」ために、旅に出発しました。
彼らは「ユダヤ人の王」としてお生まれになった方は、エルサレム神殿におられるであろうと思い、やってきました。しかしそこにいたには、ユダヤ人の王ではなく、ヘロデ王でした。ヘロデとは、王として称号を与えられていますが、もともと王家の出身でもなく、ユダヤ人でもなく、ガリラヤの領主にすぎません。その王位はいつ奪われてもおかしくない危ういものであり、そのような不安の中で、突然新しい王がお生まれになったという知らせを聞いたら、自分の王位を奪うものが現れたということで不安を抱かずにはいられませんでした。しかもこの不安を抱いたのは、ヘロデだけではなく、エルサレムの人々も皆同様であったというのです。彼らは真の救い主として、ユダヤ人の王としてお生まれになったイエス様を受け入れることができないのです。イエス様がこの聖なる都エルサレムにおいて苦しみを受けられ、十字架へとかけられることを既に誕生のときに暗示しているということができるのかもしれません。
ヘロデのところで預言者から「ユダヤのベツレヘム」で救い主が誕生したことを知った占星術の学者たちは、旅を続けます。東方で見た星が彼らに先立って進み、彼らを導き、幼子のいる場所の上に止まりました。その場所はベツレヘムという小さな村の小さな家です。彼らに救い主誕生の場所が示されたと理解し、喜びにあふれたとあります。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられました。彼らはこの幼子こそがまことの救い主である、間違いなく救い主であることを知り、平伏して幼子を礼拝し、捧げものをします。
彼らは3つの贈り物を捧げものとします。黄金というのは、王権の象徴です。つまり黄金を捧げたということは、イエス様が王と呼ばれる存在であることを世界に示したことになります。乳香とは、植物の樹脂で、幹に傷をつけると乳白色の樹脂がにじみ出てくることから「乳香」という名前が付けられ、大変高価な香料で、祭壇で用いられました。没薬とは、古代から人々に愛好されていた貴重品で、強い殺菌力があり、鎮痛剤としても用いられ、ミイラ作りに使われた防腐剤でもありました。これらの贈り物には、捧げられたイエス様は王であり、神であり、さらに人間として死すべき者であるということを示していると理解することができます。
またこれら三つの宝物、黄金、乳香、没薬は占星術の学者にとっては大切な商売道具だったという解釈もあります。彼らは肌身離さず持ち歩いていた大切な商売道具、一番大事にしていたものをイエス様に捧げたということでもあるのです。生活をしていくに必要な商売道具をイエス様に捧げたということは、これまでと同じ生活ができないということです。学者たちは幼子イエスと出会い、この小さな幼子こそ救い主メシアであるということを確信し、礼拝することによって、自分たちの人生をも変えられた、ここから新しい人生を歩み始めたともいうことができるのです。
「顕現」とは、「はっきり姿を現す」という意味です。東方の学者たちが、特別の輝きの星を見つけて、その星の意味を調べ、救い主がお生まれになったことを知り、自分たちも拝みにいこうと決意し、遠いみちのりを旅立ちました。そして彼らは、星に導かれてベツレヘムへと向かい小さな家の中に幼子を見出します。そして幼子を礼拝し、自分たちの大切なものを捧げ、新しく別の道を歩み始めました。
イエス様誕生の知らせは、ユダヤの特定の地域にもたらされた知らせではなく、異邦人をも含めたすべての民に伝えられた喜びの知らせです。この喜びの知らせは、ただ単に2000年前の出来事、特定の地域の人に伝えられた知らせではなく、すべての民に知らされた喜びの知らせなのです。イエス様はすべての人のため、私たちのために、私たちに救いをもたらすためにこの世に生まれてくださったのです。
学者たちが星によって導かれたように、神様は常にみ言葉をとおして、私たちが歩むべき道を示してくださっています。その道を見失うことなく、迷うことなく、この年も主に従って歩んでいきたいと思うのです。主は私たちに歩むべき道をこれまで見たこともない明るい星の輝きのように示してくださっています。そしてこれまでの生活にしばられることなく、新しい命を与えられ、新しく生きる道を示してくださっています。主を信じて、すべてを主に委ねて歩み出してまいりましょう。主はいつもあなたと共にいてくださいます。パウロは私たちに示されます。「わたしたちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近づくことができます。だから、あなたがたのためにわたしが受けている苦難を見て、落胆しないでください。この苦難はあなたがたの栄光なのです」主は、苦しみをも栄光に変えてくださる方なのです。

 

新しい年を迎えて

新年あけましておめでとうございます。昨日と今日、12月31日と1月1日・・・何も変わらないように思いますが、新しい年を迎えるということは、気持ちも高ぶり、いくつになっても「今年こそは・・・」「今年は・・・」と誰しも考えるものです。
二日市教会の「今年は・・・」、まず週報を一新してみました。これは多分に牧師の都合ですが、久留米教会・田主丸教会と同じ形式にし、週報作成の時間を短縮させていただきました。また今年からその週、お誕生日を迎える方のお名前を掲載することにし、共に喜びを分かち合いたいと思います。
昨年4月にこの地に赴任して、この地で初めての新年を迎えました。太宰府には200万人が初詣に訪れると報道されていました。教会にも、新しい方、久しぶりの方、しばらく教会から離れてしまっていた方、そして若い方が集ってくださることを大いに期待しています。昨年は教会のHPを開設しましたが、その効果が問われるときだと思います。説教要旨、コラムだけではなく、信徒の皆さんのインタビューをもとに、信徒の方のメッセージを掲載していますので、ご協力よろしくお願いいたします。
昨年は、二日市教会にとっては、久しぶりの主日以外の礼拝、主の降誕(クリスマス)礼拝を12月25日に守りました。やはりクリスマスは教会で共にお祝いしたい!という願いから実現しました。本当はクリスマス・イブ礼拝をしたいのですが、3つの教会を兼牧していると、なかなかそれはかないませんでしたが、この地で出来る形で、また相応しい形でより豊かな礼拝を続けていきたいと思います。
役員会で、次年度に向けての宣教方策を検討しています。新しい年、新しい二日市教会を目指して、共にみ言葉を学び、成長し続ける教会でありたいと思っています。詳細については、総会を楽しみにしていてください。
新しい年が皆さんにとって、恵みに満ちた1年となりますように、主と共に歩んでまいりましょう。

主イエスと共に 歩きましょう どこまでも
主イエスと共に 歩きましょう いつも
うれしいときも かなしいときも
歩きましょう どこまでも
うれしいときも かなしいときも
歩きましょう いつも
(幼児さんびかⅡ 22番)

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