受胎告知 ルカによる福音書1章26~38節
ヨセフへの告知 マタイによる福音書1章18~25節
イエスの誕生 ルカによる福音書2章1~7節
羊飼いへの告知 ルカによる福音書2章8~14節
羊飼いたちの訪問 ルカによる福音書2章15~20節
クリスマスおめでとうございます。
クリスマスは、全世界の人々がお祝いします。キリスト教国ではない日本でも、12月25日前後には、クリスマス・パーティが開かれ、クリスマスの特別の料理を食べ、ケーキを食べてみんなでお祝いをします。世界中の人々がイエス様のお誕生日をお祝いします。12月25日がクリスマスとして祝われるようになったのは、4世紀になってからのことで、それは冬至の祭りと関係があるのだろうと言われています。聖書には、イエス様が誕生した日については何も記されていません。またその日を確定することもできません。しかしこの日をイエス様誕生の日として世界中の人々がお祝いします。
イスラエルの民は、何世紀にもわたって神の国が到来し、それがイスラエルという限られた地から、世界のすべての国々へと広げられていくことを信じていました。ダビデの血筋から救い主メシアが誕生し、神の国が樹立されることを待ち望んでいたのです。その救い主の誕生が最初に告げ知らされたのは、王様のところでも、神様を祀る神殿に仕える人のところでもありませんでした。野宿する羊飼いに告げ知らされたのです。
讃美歌103番、「まきびとひつじを」このイギリスのクリスマスキャロルFirst Noel はその情景を美しく歌い上げます。
まきびと ひつじを 守れるその宵
たえなるみ歌は 天よりひびきぬ
喜びたたえよ 主イエスは 生まれぬ
羊飼いたちは、1日の疲れを感じながら話をしたり、時にうとうとしたりしながら夜通し火を囲み羊の番をしていました。羊を養い育てる牧者の仕事は決して楽なものではありませんでした。ベツレヘムはエルサレムの西南に位置し、車で30分ほどのところですが、傾斜地の小さな村です。羊飼いたちは、岩や石がごろごろとする丘のすそ野で羊の番をしていました。羊は夜間も小屋のなかにいれられるのではなく、石垣で囲まれただけのところに入れられ過ごします。ですからオオカミやジャッカルなど野生動物に襲われたり、あるいは盗賊に狙われたりすることもあったので、羊飼いたちは夜もねむらずに羊の群れの番をしなければなりませんでした。彼らは1年中休みもなく、苦痛に満ちた仕事だっただけではなく、当時の社会では人々から疎まれ蔑まれていた人々の仕事でした。希望を抱くことを諦めていた人々であり、富を得ること、虚栄心も持つことなど全く意味も持たない、そんな人々の群れでした。この羊飼いに人々が長いこと待望し続けていたメシア救い主であるイエス様誕生のニュースが知らされたのです。
しかも彼らに告げ知らされた御子の誕生の「しるし」は驚くべきものでした。「あなたがたは、布にくるまって飼葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるだろう。これがあなたがたへのしるしである。」御子の誕生という最高の喜びのしらせは、エルサレム神殿ではなく、ベツレヘムという小さな村の片隅、馬小屋の中で、飼葉桶に寝ている幼子であったというのです。あまりに小さく貧しいしるしです。神の愛と力と恵みとを示す「しるし」が馬小屋の赤ん坊ではあまりにも頼りないしるしです。しかしこの幼子が、救い主であり、キリストであり、主であると告げられます。キリストとはメシア、世界を裁き、全ての人に救いをもたらしてくださる方です。この救い主イエスがわたしたたちすべての主であり、天と地、生と死の一切をそのみ手のなかにおさめる全知全能の主です。
すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ、
地には平和、御心に適う人にあれ」
讃美歌103番 2節で次のように歌われます。
仰げば 美空に きらめくあかぼし
夜昼さやかに 輝きわたれり
今まで見たこともないような明るい星、まるで昼間のような輝きがイエス様の誕生の場所を指示します。
羊飼いたちはこの驚くべき知らせを聞き、迷うことなく立ち上がったというわけではなかったでしょう。夢ではないだろうかと疑う者もいたことでしょう。救い主メシアの誕生がエルサレム神殿の中ではなく、「ベツレヘムという小さな村で、しかも馬小屋で生まれた?」「飼葉桶の中に寝かされている?」信じることの方が難しいかもしれません。
それでも羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事をみようではないか」と話し合い、でかけました。英語の聖書、New English Versionではこのように記されています。
Let us go over to Bethlehem and see this thing that has taken place, that the Lord has made known to us.”
ただ見てこようというのではなく、go over 確認してこよう、入念に調べてこようと言い、立ち上がったのです。彼らは話し合ってでかけていくのです。岩や石がごろごろとした傾斜道を、羊を連れて急いで出かけるのです。すると、天使が告げ知らせてくれた通り、マリアとヨセフ、また飼葉桶に寝かせてある乳飲み子を小さな馬小屋の中にさがしあてます。まさに天使が自分たちに話してくれた通りでした。本当に救い主が生まれた。自分たちが長いこと待ち続けてきた救い主メシアがお生まれになった。疑いは一変にはれ、羊飼いたちは、幼子について天使が話してくれたとおりのことを自分たちはこの目で見て確かめてきたということを人々に知らせます。そして賛美しながら帰って行きます。おそらく飛び跳ねるように、喜びに満たされて、「救い主、メシアが生まれた」と叫びながら帰っていったことでしょう。
「さあ、ベツレヘムへ行こう」羊飼いたちが立ち上がることから始まります。
天使の群れが去って行った後、天使の言葉を信じることができず、嘘に決まっている、今のは夢だったのだと疑い、立ち上がることなく、留まってしまっていたのでは、この喜びの知らせは、誰にも届けられることはなかったことでしょう。羊飼いから人々にそしてまたその知らせを耳にした人が別の人々に・・・こうして喜びの知らせは多くの人に届けられていったのです。
イエス様誕生の知らせは、「さあ、ベツレヘムへ行こう」自分たちの目で見て確かめてこようという羊飼いたちの話し合いの結果から、多くの人へと伝えられていきました。そして、クリスマスの喜び、イエス様誕生の知らせは、今私たちに届けられました。今私たちに届けられた喜びの知らせです。2000年のときを経てもその喜びの知らせは過去の出来事ではありません。主イエスは、今、このときもどこにいてもいつでも、私たちと共にいてくださるのです。そして私達を罪から解放し、救いを与えてくださいます。私達ひとりひとりに限りない愛を注いでくださっています。