M.M.さん(90代 女性)
長いこと教会の書記役員としてその責任を担ってくださっていたMさんは、ご高齢になられ教会に来ることも難しくなられましたが、第一主日には、タクシーで必ず礼拝に出席してくださいます。春のお花見、ペンテコステ礼拝後のBBQパーティには、参加してくださり、昔懐かしいお話をしてくださいました。礼拝のあとには、必ず、教会備え付けの聖書に、翌週の聖書箇所に栞を挟む作業をしてくださいます。まさに「二日市教会の生き字引」です。教会への篤い想いを電話インタビューで語ってくださいました。
教会に来たきっかけは、幼稚園の事務として働いていたときのある女性の先生との出逢いです。その先生は、人の心をよく感じ取ってくださり、私が悩みを伝えると、私の話を聞き、聖書の言葉を用いて応えてくださいました。その先生と話すことによって、心が穏やかになり、教会に行って見たくなりました。強情で、意地っ張りで、可愛げのないところがある私ですが、教会につながることによって、何でも自分で決めて、自分の考えて進むのではなく、神さまが備えてくださる道を歩むことを教えられました。
二日市教会でのいちばんの思い出は、二日市教会の牧師として働かれているときに、ご病気になられ、闘病生活の後、幼いお子さん3人を遺されて天に召された、故笠井 均牧師の葬儀のときのことです。棺に納められた笠井牧師のお姿は、まさにキリストのお姿のようでした。そして「先生、二日市教会の先生でありがとう」という思いが沸き上がり、最後までそのお姿によって、主に仕える者として私たちに語り続けておられるように感じられたことです。あのとき本当に幼かったお嬢様が、小鹿教会、清水教会牧師として働かれていることは、二日市教会の者として大変うれしく、「希望の光」です。
二日市教会は、和やかな雰囲気の教会で、とても温かく安心できる場所です。教会員の方々は皆とても仲が良いですが、単なる仲良しというのではなく、キリストによってつながっている仲間です。
自分も含めて高齢化し、だんだん教会に行くことも難しくなってきた方が増えてきていますが、若い方が増えて、10年後も地域に開かれた教会として、良き宣教の働きを為す教会であって欲しいと祈っています。私自身もそうでしたが、教会に行ってみようと思っていてもなかなか一歩を踏み出すことは難しいものです。でも教会の扉はいつもすべての人のために開かれています。勇気をして、一人でも多くの方に来て欲しいと祈っています。